フェデリコ・フェリーニ『81/2』とタロットの関係(4) 皇帝と法王

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フェリーニの発言。「大公と君主と教皇のおこぼれにあずかって生きるのが芸術家の宿命」

こちらのニューヨークタイムズのインタビュー記事ではさらに詳しくこう言っている。

「ルネサンスの芸術家たちのように、私が必要とするのは仕事を依頼されること。教皇や大公、皇帝や国王が必要な訳で、たとえそれが『2ヶ月で天井画を仕上げなければ首を刎ねる』とか『詩を書かなければ何も食わさない』とか言うような非道な人間であろうとも、だ。私には力ある者のために仕事をするという必要があるのだ。」

皇帝と教皇(法王)は俗界・聖界を統べる一対の権威であるが、『81/2』においてはそれぞれ映画プロデューサーと枢機卿で表されている。現実面と精神面で主人公の映画製作に影響を与える存在である。

バクスターのフェリーニ伝にはこのような表現がある。「プロデューサーと教皇は、一なる脅威の表裏にほかならなかった」。

フェリーニの少年時代、学校の教室にはローマ教皇と国家統領ムッソリーニの写真が並んで飾られていたという。映画『フェリーニ 大いなる嘘つき』でもフェリーニはカトリシズムとファシズムが支配する当時の雰囲気を回想しているが、「芸術家として渡り合うべき聖俗の二大権威」というコンセプトはここにもつながっているのだろう。

ではまず、「皇帝」=プロデューサーのパーチェ。グイドのパトロンで保護者的存在。地位も権力もある親分肌の人物で、叙勲者のため周囲からは敬称で「コンメンダトーレ」と呼ばれている。

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パーチェとタロットの「皇帝」札を結びつけるのがこのコンメンダトーレ勲章である。マルセイユ版の皇帝の胸にはまさにクール=ド=ジェブランが勲章と表現したものが描かれている。そして興味深い偶然というべきだろうが、勲章裏面の鷲のデザインがマルセイユ版右下部のデザインともよく似ているのである。

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さてこのパーチェ役のモデルだが、メインは『甘い生活』からの付き合いで『81/2』の製作者でもあるミラノ出身の大富豪アンジェロ・リッツォーリ(1889-1970)で間違いなかろう。孤児院から出版業で身を起こし、メディア界に一大帝国を築いた叩き上げの大実業家。そして映画のパーチェ同様、コンメンダトーレ勲章の受勲者でもあった。フェリーニは出資者の権利を盾にあれこれと作品に干渉してくるプロデューサー連とよく衝突していたが、リッツォーリは寛容でフェリーニを非常に可愛がってくれていた。温泉で有名なイスキア島のレジーナ・イサベッラ・ホテルの経営者でもあり、フェリーニが1960年の夏をここで過ごしたことが映画の舞台を温泉保養地にするきっかけの一つとなっている。

フェリーニのリッツォーリ評。「金持ちで、権力があり、寛大で、慈父のようなところがある依頼主だった。」

下の画像左がリッツォーリ。映画のパーチェと容貌も似ている。一緒に写っているのがオスカー像を手にしたフェリーニとその妻ジュリエッタ・マシーナ。

リッツォーリ

劇中、パーチェが自分と同じ腕時計をグイドにプレゼントする場面。実際にフェリーニは『甘い生活』製作時リッツォーリから彼とお揃いの金時計を貰っている。

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作中グイドの亡父(下の画像左)はかなり出番が少ないが、妻子以外で唯一絡みがあるのがこのパーチェである。パーチェが現在のグイドにとって父親的存在でもあることの暗示であろう。グイドへの彼の言葉。「最近友達も減ったろう、だが私が何としても助けてやる」。

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フェリーニ本人も不在がちだった父親とは結局密な関係を持てぬままに死別しており、息子のように扱ってくれるリッツォーリには父親像を見出していたものと思われる。

 

つづいて「法王」=枢機卿。グイドが助言と救いを求めて会見する、作中のカトリシズムの体現者。

枢機卿1

二人の側近を従えている姿は特にタロット的である。

枢機卿2

「法王」札のイメージは少年グイドの通っていたカトリック学校の立像にも現れている。

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ところで、「枢機卿」という存在はフェリーニにとって特別な意味を持つ。まず、敬虔なカトリック信者だったフェリーニの母は息子が聖職に就いて枢機卿となることを夢見ていたということ。そしてさらに大きかったのが、映画監督となって後に生じた二人の枢機卿たちとの関係。ひとつは歓迎すべきもの、もうひとつは遺恨の残るものであった。

一人目はジェノヴァのジュゼッペ・シーリ枢機卿。『カビリアの夜』発表時にカトリック当局から内容に待ったがかかったが、当時副教皇的な地位にあってこの作品にお墨付きを与え危機を救ってくれたのがこの人である。

もう一人はのちに教皇パウロ6世となるミラノのモンティーニ枢機卿。こちらは『甘い生活』を反カトリック的作品として上映中止を主張した人物。フェリーニがその件で謁見を求め約束を取り付けるも土壇場で面会を拒絶。このことにフェリーニは深く傷ついたと心情を吐露している。

両枢機卿の間では『甘い生活』を巡り問題視と擁護とで相反する内容の書簡が交わされていたことが明らかになっている(詳細こちら)。両者は一方が教皇となってからもカトリック内の改革に関し真っ向から対立する関係となる。

下の写真は1960年代初め、まさに『81/2』が製作された頃に二人が揃って写った写真。左がモンティーニ枢機卿、右がシーリ枢機卿。歴史的な一枚といえよう。(了)

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