フェデリコ・フェリーニ『81/2』とタロットの関係(11) 月と太陽

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まず「月」は劇場でのスクリーンテストのシーン。暗闇の中、客席の人々(=犬たち)が見上げるスクリーン(横顔の映る月)。舞台脇の出入り口もタロットの建物のそれと重なる。

xviii-映画館

フェリーニは自らの映画観として「映画」そのものを女性に喩え、さらには映画館を子宮に喩えている。以下ジョン・バクスターのフェリーニ伝より、ユング的アニマ論の影響が窺えるフェリーニ自身の言葉を引用。

「映画はその儀式的性格からして、まさに女だ。映画館という子宮、胎児を包む暗さ、幻影 ー すべてが相まって、投影される関係をつくりあげる。投影を通じて身代わりをつくり出す過程にわれわれも参加し、われわれの期待する性格をスクリーンに付与する。女に対するのと同様だ。男は女に自分自身を投影する。女は男がつくり出したイメージの投影されたものにほかならない。歴史のなかで、女はわれわれ男にとって理想のイメージになってきたのだ」(P36)

「月=女性/母親」のシンボリズムはごくオーソドックスなものだが、実際このシーンは「月に映し出される女性の顔」というタロットのイメージとぴったり一致している。スクリーンテストで映し出されるのは全て女性。妻役/愛人役/サラギーナ役候補たちは勿論のこと、枢機卿役さえ女性が演じている。映画監督グイドがこれらの女性たちのイメージを投影する対象をまさに探っている現場といえる。

バクスターの伝記には以下のような記述もある。

思春期になると、フェリーニは鮮明な夢を見るようになった。夢はしばしば、エロティックだった。生涯、繰り返して見ることになるモチーフもあった。フェリーニは、背の立たない暗い海で泳いでいる。溺れかけたフェリーニを巨大な女が助けあげて、乳房に抱きすくめる。巨女のイメージはさまざまな形で夢に登場した(どの夢でも、フェリーニは女の膝にしか背が届かない)。夜、満月のもとで海から上がって来たり、 浜を歩いていたりする。「雲をつむぎ、消し去る巨神」として神格化され、積雲の椅子によって、乳房からほとばしる露を地上に注いでいることもある。(P37)

フェリーニによる夢のスケッチ
フェリーニによる夢のスケッチ

「乳房からほとばしる露」はマルセイユ版「月」札で宙を舞う滴とイメージ的につながる。(さらに「星」札の女性の姿ともつながっているのは間違いなかろう)。加えて、この空中の滴は映写機の光の中でチンダル現象を起こすコロイド粒子とも重なりあう。

チンダル現象

さらに言えば、タロットのザリガニの鋏はスクリーンテスト中に登場するいわゆる「カチンコ」を連想させる。

xviii-カチンコ

このスクリーンテストを見て現実の妻ルイーザは怒りでその場を立ち去り、まるで彼女と入れ替わるようにグイドが理想を投影する対象のクラウディアが姿を現わすのも象徴的である。

ところでスクリーンテストの場面からは離れるが、フェリーニはグイドが滞在するホテルのロビーにほんの一瞬さりげなく白犬と黒犬を登場させている。これがモディアーノ版「月」札の犬たちとよく似ているのである。さらには奥の花屋の店先にある筒にささった花がモディアーノ版遠景の樹木の姿を彷彿させることも指摘しておこう。店頭に貼られたポスターは月、犬を連れた女性は壁面に刻まれた像と照応する。偶然にしては出来過ぎという感が否めない。

白犬黒犬

もしかするとこれら白黒2頭の犬たちは、幾たびもグイドの回想や空想の場面に甦ってくる白服と黒服二人の子守役たちとも結びついているのかもしれない。グイドに甲斐甲斐しくかしずく様子は主人に忠実な犬の姿のようにも見える。さらには監督グイドやプロデューサーのパーチェをアシストするチェザリーノとアゴスティーニ両名(スクリーンテストのシーンでも活躍している)にも重なる。

 

さてつづいては「太陽」。マルセイユ版のこの札と構図的にぴったり一致するのが夢の中で生前あまり話をする機会がなかった亡父と墓所で再会する場面。白日の下、廃墟を背に手を取り合うグイドと父。太陽そのものが画面に登場する訳ではないが、思えば母性の月と対をなす「父なる太陽」という概念は実にユング的でもある。沈む太陽の如く、地中へと身を沈めてゆく亡父。

xviiii-墓場の父

興味深いことに、フェリーニは全く別の場面でこれとほぼ同じ構図を再現している。これも太陽の下、壁の前で手を取り合って踊る少年時代のグイドとサラギーナ。グイドの衣装が上掲の父との場面と同じであることにも注目。「力」札の項に記したように「サラギーナ=ライオン」とすれば太陽の支配する獅子座とのつながりなども想像してみたくなる。こちらは父との場面と打って変わって、生命力に溢れたダンスである。

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ダンスのシーンは他にもグイドと妻ルイーザ、(グイドの妄想の中でだが)妻ルイーザと愛人カルラ、友人メッツァボッタとその若い恋人グロリア、などといった組合わせで何度か挿入されている。タロット(マルセイユ版)のイメージと考え合わせるに、「異質な存在との融和・和解」といった意味合いも込められているのかもしれない。延いてはフィナーレの輪舞にもつながっているように思われる。

別場面では古代ローマめいた雰囲気を漂わす蒸し風呂のシーンも、布を纏った半裸の人々や熱気といったイメージが「太陽」札のデザインを彷彿させる。

xviiii-蒸し風呂

 

 

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