・C.G.ユングとタロット

 今回は少し方向性を変えて、よく取沙汰されるユングとタロットの関係について述べてみたい。

 サリー・ニコルズ(邦訳もある『ユングとタロット』の著者)を代表例としてタロットを有効なツールとみなすユング派の心理学者は多いらしいが、当のユング本人とタロットとのつながりはどうだったのだろうか。
 残念ながら鏡リュウジ氏の「タロット こころの図像学」(河出書房新社)にあるように、「ユング自身はタロットについてはまとまった記述をしていない」(p13)とされている。とはいえ、全く無縁だったという訳でもないようなのである。

 ユングは少なくとも1930年の時点でタロットの存在は意識していたらしい。1930年に彼が書いた手紙の中にはタロットに関する簡単な言及があり、1930年代前半のある講義では両性具有[=対立物の統合]と錬金術の黄金をタロットの「悪魔」に関連づけている。さらには丁度同じ頃の『エラノス年報』にあるルドルフ・ベルヌーリのタロット論(『錬金術とタロット』河出文庫)に触れてもいたであろう。
 しかし、ユングが本格的にタロットと向き合ったのは1950年頃からだったようである。最近出版されたユングの伝記(Deirdre Bair著 “Jung: A Biography” )にその辺の事情が語られている。

 1950年から1952年までの間、ユングは共時性(シンクロニシティー)の研究データ収集のために占星術やタロットに詳しい女性たちを選んで協力を得ていた。(Gret Baumann-Jung、Hanni Binder、Sabina Tauber、Mary Elliotの四名)

 この中でユングにタロットを教えたのがGret Baumann-JungとHanni Binderであった。Gretはユング自身の次女でスイス占星術界では著名な存在であり、もう一人のHanni BinderはGretと同じ師に占星術を学んだ人物でユングのセラピーの受診者でもあったそうだ。
 さて、この件に関して以下のような記述が上記の書にある(p549)。

「‥‥HanniとGretの二人はタロットの占い方を彼(=ユング)
 に教える際数種の異なるカードを使った後、アントワーヌ・
 クール=ド=ジェブランのグリモー版 “Ancien Tarot de
 Marseille” に落ち着いた。ユングはそれこそが特性を保持し、
 自身が錬金術テキストの中から拾い集めたメタファーの必要
 条件を満たす唯一のデッキと考えたのであった。」
(※これは著者が実際にGretとBinderの両名に取材した上で書かれている。何故ここでジェブランの名が出てくるのかは不明。)

 なんとユングが最も気に入ったデッキがあの「グリモー版」であったというのは、マルセイユ版愛好家にとっては嬉しい事実である。(ちなみに冒頭に名を挙げた弟子筋のサリー・ニコルズも『ユングとタロット』でグリモー版を採用している。)

 もう一つ、ユングとタロットの関係について興味深い話を紹介しよう。Bair女史はニューヨークのユングセンター内にあるクリスティーネ・マン図書館にBinderへのインタビュー原稿のダイジェストを寄贈しており、それを取り寄せてみたところ何とユング自らがタロットの切札22枚に関して述べたコメントを彼との会見の際にBinderが書き取ったメモのコピーが添えられていた。これは元々ドイツ語だったのを後に彼女の友人が英語に翻訳したものだという。しかし生憎その友人はさほど英語に達者だったわけではなかったようで、無数にスペルミスがあるだけでなく意味の分かりづらい表現も恐ろしく多い。これならいっそドイツ語の原文の方が欲しかったが、難儀しつつ解読してみたところあることに気付いた。どうやらこのユングのコメント、Papusの『漂泊民のタロット』を下敷きにしているようなのである。「女帝」や「皇帝」の説明にある「冠に付いた十二個の石」をはじめ、Papusの同書中の表現と同一のものが相当にある。さらに「戦車」の部分で「矢」、「運命の輪」で「命令のしるしとしての指」云々といった言葉が使われているが、これはPapusがカードそのものではなくそれに対応したヘブライ文字に関して述べたコメントと一致しているのである。

 本当に怪しいくらいそっくりであり、最初はBinderがホラを吹いてるのではないかと疑わしく思ったのだが、前に述べたとおりBair女史はBinderだけでなくユングの娘Gretにもインタビューを行っている。そうなると嘘ならすぐにバレるはずなので、恐らくこのメモは本物、と考えてよいのだろう(それでも多少の疑問点は残るが)。

 クリスティーネ・マン図書館からのメールによると、期日未定ながらBinderインタビューの全文がBair女史から届く予定らしい。新たな発見があればまたこちらで報告させて頂くつもりである。

※トップの画像
Deirdre Bair著: “Jung: A Biography”の表紙。
2003年初版。上記の画像はその翌年に出たペーパーバック版のものである。
Bairは伝記作家として一流の人物であり、1981年サミュエル・ベケット伝で全米図書賞(アメリカでピューリッツァー賞に次ぐ権威を持つ賞)を受賞している。