・『とらんぷ』(阿部徳蔵著)- 昭和13年

日本タロット受容史・戦前篇の最後を飾るのは阿部徳蔵の名著『とらんぷ』(昭和13年 第一書房)。戦前の日本で出版された貴重なプレイングカード研究の専門書である。

著者阿部徳蔵(1888-1944)は当時の奇術研究の第一人者であり、一度ならず御所に招かれて昭和天皇その他の貴人達の前で腕前を披露する栄に浴したそうである。現在も存続している「東京アマチュア・マジシアンズ・クラブ」の第二代会長も務めた人物で、敢えて職業奇術師とはならず「芸術としての奇術」を追求したという。

また、非常な名文家でもあった。本書冒頭部の一節を紹介してみよう。
「とらんぷとはなんであるか。それは私達に何を語るものであらう。ある者はとらんぷを『惡魔の繪本』と排斥した。ある者は『紙の王子』と禮讃した。愛していいのか悪いのか。私達は、それに就いてどう考へたら正しいのであらう。
何百年もの昔から、夜となく晝となく、いつもいつも私達の伴侶としてつきまとつたこのとらんぷは、惡魔は、王子は、あらゆる階級に入り込んで、男から女から、老人から青年から、主婦から令嬢から、萬人から愛玩された。そして愛すればこそ、愛らしいものであればこそ、惡魔の繪本と憎む者も出て來たのだ。
奇怪な存在としてのとらんぷ! そのとらんぷが、ふと此の世に生まれ出てから、一體、どんな役割をもつて今日にいたつたものであらう。・・・」

ついでにもう一つ。
別著『奇術随筆』(昭和11年)所収の短文「美術曲芸しん粉細工」がオンラインでも読めるので是非御一読なさるようお勧めする。作品社の「日本の名随筆」シリーズにも採録された名品であり、私にとっては自分でこんな文章が書けたらよいな、と憧れる理想の文章の一つである。

閑話休題。
では元来奇術畑の人間である彼がなぜプレイングカードの研究書なぞ出したのかというと、彼が最も愛しまた得意としていたのがトランプを使った奇術だったのだそうで、勢い自分にとって欠くべからざるものとなった道具の素性を知りたくてたまらなくなったのがそのきっかけだったと記している。
(実際本書においては奇術に関する記事がかなりの部分を占めている。)

本書中のタロットに関する記述は複数の章で見られるが、その中でも特にまとまった部分を紹介しよう。
(旧字旧仮名遣い。例によってフォントの都合による新字体の採用あり。)

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タロットの寓意畫

次に、タロット二十二枚、いひかへれば、タロットのアツウ(Atous)二十二枚、尚嚴密にいへば、タロットのアツウ二十一枚と添札の愚者(Le Mat)と合せて二十二枚には、人世に起るもろもろの事象をあらはす繪が描いてある。そしてこれ等は、國、年代に依つて數の多い場合もあるが、最も一般的な古い一組は、第四圖に示す通りであつて、
一、 奇術師
二、 女法王
三、 皇后
四、 皇帝
五、 法王
六、 愛人
七、 軍車
八、 正義
九、 隱者
一〇、 運命の車輪
一一、 力
一二、 被絞者
一三、 死
一四、 節制
一五、 惡魔
一六、 神の家
一七、 群星
一八、 月
一九、 太陽
二〇、 審判
二一、 世界
(添札) 愚者
の合計二十二枚である。この愚者は、現在の札のジョーカーと丁度一組に對して同じ立場にある。
さて、この二十二枚の寓意畫に就いての説明は、多くの學者が研究した所であるが、そのうちから、クール・ド・ジェブランとエリファス・レヴィの解説を記すことにする。
第一、奇術師。奇術師の卓子の上に、賽、洋盃、小刀、玉などが置いてあり、手にはヤコブの棒(奇術の時手に持つ棒)を持ち、指の間に玉を挾んでゐる。これは、世界最古の小手先奇術である「茶碗と玉」の奇術を使つてゐる所で、奇術師の畫が第一番になつてゐるのは、奇術の玉が手から茶碗へ見え隱れする樣を、夢幻泡沫な人生にたとへ、世の中を一六勝負の大賭博場になぞらへた所。
(第二、三、四、五は、社會の上に立つ人物を擧げたもので、
第二の女法王、第五の法王の服装を見てもこの札の古いこと
がわかる。又、第二、第五の札は、始め、父、母と名づけ
られたものを、伊太利、獨逸のとらんぷの畫工が、法王、
女法王とかへたものである。)
第二、女法王。女性が冠をかむり、ヴェールを捲き、胸に日輪の十字を表してゐる。
第三、皇后。翅のはえた女性が腰をかけ、冠をいただき、王笏の先には地球を象つた玉がついてゐる。靈魂生命をあらはす鷲を印としてゐる。
第四、皇帝。身體は直角三角形、足は十字に組み、錬金術者の竈をあらはしてゐる。
第五、法王。大祭司がハームス及びソロモンの柱の間に坐し、神秘教の標號をあらはす所。
第六、愛人。若い男女がお互に信仰を誓ひ、僧侶が兩人を祝福してゐる。或は、善惡の間にゐる人をあらはすともいふ。上よりは眞理の日輪光を放ち、戀愛の矢は邪惡を嚇かす所。
第七、軍車。凱旋するオシリスの神、手に王笏を持ち頭に冠をいただき、二頭の白馬に軍車をひかせ悠々として凱旋する所。オシリスの神は、寒中には姿を隱し、春先から新しい光輝に滿ちて現れるといふ伝説。
(第八、十一、十二、十四はいはゆる主徳をあらはすもので
ある。)
第八、正義。皇后が玉座に坐し、手に劍と秤を持つ所。
第九、隱者。哲學者が長いマントを着て、肩に頭巾を垂し、杖をつきながら歩いてゐる。右手に提灯を持つたのは眞理と徳とを求める所、それをとらんぷ畫工が隱者にかへたのだといふ。
第十、運命の車輪。人が、猿と犬と兎の形となり、車輪にくつついて運命の車を廻る。幸運の頂きから落魄の底に沈む有爲轉變の世相をあらはす所。
第十一、力。かよわい女が小犬をあしらふやうに、獅子を扱ふ所。
第十二、被絞者。本來此札は、「深慮」といつて、一本足で立ち片足をあげて何處へ踏み出さうかと探してゐたものを、とらんぷ畫工が原圖の意味深長を知らず、圖のやうにかへたもの。特にこの繪を入れたのは、一組の中へ女法王を出したため、發明者が罰せられてゐる所だともいふ。或は圖をそのままに解釋して、犠牲及び仕事の完成をあらはす所ともいふ。
第十三、死。十三番目に特に「死」を置いたものは尤もなことであるといつて、クール・ド・ジェブランは十三の凶數の古伝を述べてゐる。
第十四、節制。翅の生えた女性が、片方の水差の水を冷すために他の水差から水を注いでゐる所、あるひは長命液をつくる二種の水を注いでゐる所ともいふ。
第十五、惡魔。埃及のタイフォンといふ惡魔で、蝙蝠の羽根が生えて、手足はハーピーといふ怪物と同じで、頭に角があり、そばに長い耳と尻尾の生えた小惡魔が兩手を縛られて、首から首へ綱をつけタイフォンの座へ結んである。つかまへたら放さぬぞといふ所。
第十六、神の家。金の詰つてゐるプルタスの城が倒れて、拜金者を押潰したといふ。ヘロドタスが話した埃及の皇女ファルプシニットの歴史を示すもので、慾張るなと教へる所。後人がそれへ雷と稻妻を加へたもの。
第十七、星。天狼星を現し、周圍を七つの小星がとりまいてゐる。その下に女が手に持つた水差から水をあけてゐる。この婦人は天の女王イシスの神で、この神の惠でナイル河には水が滿々とたたへられ、荒野は變じて豊饒の地となつたといふ。
第十八、月。日の進む道を通つて金と眞珠の涙を降らせる。埃及の伝説に依れば、イシスの神の涙で毎年ナイル河の水を増して埃及を豊饒の地とするといふ。その下にゐる蟹は、巨蟹宮を現し、兩側の塔はヘラキュールスの有名な塔で、その下の犬は、月が天の中心を放れて地球の極へ行かないやうに吠えてゐる所。
第十九、太陽。ここでは森羅萬象を現す所。
第二十、審判。これもとらんぷ畫工が最後の審判と取り違へて圖で見るやうな繪を描いたもの。
第二十一、世界。時を現すもので、眞中にゐるのは女神で、肩掛をさげてゐる。周圍の丸い枠は時の廻轉と萬物を生ずる印をあらはし、四隅の鷲、獅子、牛、若者は春夏秋冬を示し、鷲は春、獅子は夏、牛は秋、若者は冬を象つてゐる。
(添へ札)愚者、途方もない服装をして、曲事と惡徳の詰つた袋を背負つて、ぶらぶら歩いてゐる所。
尚、この Tarots の語原に就いて、クール・ド・ジェブランは、「Tarotsは古代埃及人の間に知られてゐたもので、その語原は、「道」の意味を現すTarといふ言葉が「王の」といふ意味を現す Rog といふ言葉と結びついてTarotとなつたものである。」といつてゐるが、事實は、伊太利でタロッキ(Tarocchi)といつたものを、佛蘭西でタロ(Tarot)と呼びなして、それがそのまま英語になつたものである。
又、タロットは、最後に添へられた愚者の一枚を零と見ると、埃及の神聖な數の七の三倍になつてゐる。そして、これをゲームに使用する場合には、最後の愚者はそれ自身の價値を持たず、他の札に結びつけた場合、その札の價値を増す力を持つてゐる。そして、この愚者の札に依つて、現在のジョーカーが造られたものである。

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著者は各項の出典を逐一明記してはいないのだが、上に掲げた部分に関しては冒頭部で言及されているWilliam H. Willshireの”A Descriptive Catalogue of Playing and Other Cards in the British Museum”(1876)を参考にしたものと考えてまず間違いなかろう。同書にはジェブラン(『古代世界』)とレヴィ(『高等魔術の教理と祭儀』)のタロット解釈をダイジェストの形で紹介している部分があり、しかも原典の端折り具合が阿部の記述とほぼ一致している。
(レヴィのタロット解釈は江口之隆先生「ポール・クリスチャンのタロット」中の各ファイルを参照のこと。ジェブランについては後日まとめて扱う予定。)

また、阿部が『とらんぷ』で使用したタロット図版はWillshire本に全く同じものが見られる。デッキの製造者名はどこにも記されていないのだが、複数のカードのタイトル欄に見られる奇妙な記号や「戦車」のシールドにある”VR”のイニシャルから、マルセイユのFrancois Bourlionによるものと推測される。NIcolas Conver版と同じ1760年に製作されたデッキである。

『とらんぷ』所載の図版より「軍車」

さて、以上三回に渡って扱ってきた三つの書が、私の知る限り戦前の日本でタロットを本格的に紹介した文献の全てである(言及だけであれば前々回触れた尾佐竹猛『賭博と掏摸の研究』や上記『奇術随筆』などもある)。そこで、「戦前篇」の終わりにあたっていくらかコメントを付しておきたい。

阿部の『とらんぷ』では、タロットを使ったゲームについてもごく簡単に説明してある。これは我が国においてかなり早い段階での紹介であったものと思われるが、結局タロットは神秘的な「占いの道具」として定着していくことになり、かつては専らゲーム用のものであったという事実は現在一般にはほとんど知られていないようである。最初に紹介されたのが既に欧米でも「タロット = オカルト的なもの」として認識されるようになっていた時代であっただけに、これは当然のことであったと言ってよかろう。

次に”tarot”の日本語表記について。
かの悪名高き「タロットかタローか」論争についてはいずれここで扱うことになろうが、早くも戦前の時点で割れていたわけである。河合乙彦の「タロット」に対して酒井潔はフランス語風に「タロ」。阿部徳蔵は「タロ」や「タロッコ」といった別の呼び方も紹介してはいるが基本的には「タロット」派。この点に関しては今後の考察(戦後編)でも注目していきたい。

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『とらんぷ』函と本体。(昭和15年発行の第三刷)