J. W. ブロディ=イネスのタロット論・下


 最終回。ウェイトに対するやんわりとした批判も含む。ちなみにウェイトは『オカルト・レビュー』の次号(1919年3月号)に『タロットと秘密の伝統』なる文章を寄稿しこれに応えている。

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 私も多くのタロット研究家たちと同じくウェイト氏の小冊子を歓迎した一人である。今回も期待に違わず、典雅かつ格調高き文体で綿密な調査の成果が開陳されている。氏の示す素晴らしき文献一覧に見られる原典を研究する時間も忍耐強さも、ともすれば機会さえもない者にとってはこの上なく貴重な要約である。しかしそれでもやはり、大した前進にはならないのである。ついでに言うと、氏はタロットの剣をクラブの原型としておられるが、これにはいささか驚かされた。かくも学識豊かで正確な著者であるからこの記述にも何かしらの典拠があるに違いないがそれに関する言及はない。それに、イタリア語で剣がspadiであり、現代のトランプの模様がローマ式の幅広の剣の様式化されたものを示唆しているという明快な考えにもあまり触れられていない。前述のとおり、もともとのシンボロジーが未だ不明である以上いかような推測も可能ではあるのだが、クラブの模様の形は棍棒や六尺棒には全く似ていないことは言っておかねばならない。しかるにデナリもしくはペンタクルのスートが大地の諸力を表すものとして、お金やコインが物質的な力を象徴しクローバーもしくはシロツメクサの葉もまた大地の産物として大地の諸力を象徴する可能性を提起するならば、棍棒が剣から派生したものとするのに劣らず良いシンボロジーとなろう。いずれにせよ一般的にカップはハートの原型であり杖はダイヤの原型であると見なされているようで、もし剣もしくはspadiがスペードとなれば残されるのはペンタクルと現代のクラブとの対応のみである[※訳註9]。         

 我々のタロットカードの扱いには3つの形がある。一つ目は最も明快なもので、偶然任せのあるいは技術を要するゲームの道具とするものである。この場合は単に歴史的な関心の対象となる。第二に、適切に解釈すれば大いなる神秘的真理を明らかにする象形文字の書物とするもの。それはある種の宇宙生成論、宇宙もしくは人間の魂の進化の歴史であるかもしれない。そして第三に占いの手段。明らかに2番目のものは我々がカードの正しい順番を知っているかどうかにかかっており、これに関しては今のところ古代からの光明は見出されておらず、既に述べたように現代の権威者たちの意見もバラバラである。第三の占いへの利用はカードを並べる際の偶然、すなわち、質問者による所定のシャッフルとカットの後にカードが展開される順番が鍵を握っている。ウェイト氏は一連のアテュすなわち切り札22枚は上記のうち第二の形にのみ関わるものであり、氏が低次のアルカナと呼ぶ56枚は占い専用のものだったという信念に傾いておられる。これは正しいのかもしれない。確かにアテュのみで数札の無い実例は複数あり、また現在タロッキ遊戯用にイタリアで売られているものにはアテュなしの数札デッキもある。しかしクルロウ氏のコレクションには、両者が明らかに関連を持った形で含まれている初期のデッキの例がある。ゲームにも、両方が使われアテュが切り札の名にふさわしい非常に特別な力を持つ例が少なくとも1つはある。そしてまた、リー夫人が私に見せてくれた占法でも確かに両方が使われていた。私に言えるのは、私自身はウェイト氏他数名の方々が挙げておられる証拠をすべて検証した上で異なる結論に達したということだけである。しかしその点はまだ調査の余地があると考えている。                                          
 占いについてだが、カードを並べるには数多くの方法がある。私自身が今までに見たものだけで1ダースを超えるが、個々の占者独自のものも含めれば間違いなくもっと沢山あるに違いない。ウェイト氏が説明した第一の方法[※訳註10]は私にとっても久しくなじみのものである。フロレンス・ファー・エマリー夫人も他の方法と共に時々使用していたが、占い上の意味は完全に異なるものであった。その意味とは、ウェイト氏は無視しておられるようだが、適否はさておきスートの持つ一般的な意味と数の持つ神秘的特性とを結びつけることで論理的に生み出されたものである。この占い上の意味は古い象徴的デザインによって大まかに裏付けられている。したがって私見では、タロットとはそもそも象徴的な書物であり、今やその意味は間接的に推測しうるのみである。そしてタロットの原作者たちはあらゆる被造物の四分割——有名な例としてエゼキエルの幻視や黙示録における四聖獣、ケルビム、四大天使、聖四文字(テトラグラマトン)、その他多数——に取り組んだ。そして数の持つ神秘的な力を付与し、さらにその書物の各ページに解明のための象徴的デザインを盛り込んだ。この推測に即せば各ページは事実上その書物の一章をなし、霊界から物質界に作用する善悪両方の影響力を表している。占いの理論によれば、前もって定められた方法に従ってカードをシャッフルしたりカットしたりという過程は質問者に働く影響力を示すということになろう。これらの象徴的デザインをエジプトの『死者の書』の各章に入った装飾模様に比してもよいかもしれない。

 いずれにせよこの私見が正しいのであれば、是が非でも古来の象徴的デザインを保ち、出来ることなら原作者たちの意図通りの状態にまで復元することがこの上なく重要となることは自明である。考古学的調査が続々と新たな予期せぬ発見を明るみに出しており、いつの日か現在知られている最古のもの以前のタロットの形式に関する何らかの新しい証拠が現れるのではなかろうか。それはこの不思議なカードを疑問の余地なく古代の偉大な種族や大いなる哲学体系と結びつけることになるかもしれないし、あるいはこの考えの誤りが証明されるのかもしれない。私はいつかウェイト氏が御時間を割いて御自身の解釈やそれを図示したデザインがどこから採られたものなのかを御教示下さるものと信じている。私が前に引き合いに出したペンタクルの2を例に挙げよう。ペンタクルは大地の諸力——現世を支配する物質的作用——を表し、2とはピュタゴラス学派によると善悪二陣営の数であり、神の単一性から分離した最初の数である。よって、蛇の持つ二面性——すなわち誘惑の蛇と、キリストの予型としてモーゼが荒野で掲げた癒しの真鍮の蛇の二つ——も連想させる。とすれば、古いデザインにおいて蛇が無限大のシンボルの形で二つのペンタクルに巻き付くが如く描かれているのは適切なわけである。特別な霊感が働いたというのでもなく、この解釈は正しいかもしれないし間違っているかもしれない。単なる可能性の提示である。しかし、ウェイト氏の踊る男は何に由来するものなのか?もしこの男が何らかの古いタロットの形式に属するものであったり、ともかくも原作者たちと関わりを持つものであるならば、真剣な考察に値する。しかしその素性と信用証明を知りたいものである。同じことはその他のデザインについても言える。 

 私の貢献が何とも小さなものであることは承知しているが、かくも覚束なき細道を辿る際にはほんの微かな光明も素晴らしく価値のあるものとなるかもしれない。何とも神秘めいた素振りを示しその気になれば多くのことを語れるようなことをほのめかす者たちの態度を批判することにおいては、私はウェイト氏に全面的に賛成である。これは真のオカルト学徒の態度ではない。秘密の伝統を知る者(そういうものが有るとしての話だが)は、誓約や高潔なる取り決めによる制限も特になくて許されるものならば自分の知識を示すべきであるし、さもなくば沈黙を守るべきである。そして解釈を示す者はその根拠を示すべきであり、それが自身の直観や洞察力をもととするものならば率直にそう言うべきなのである。もし全ての者がこれらの単純な科学的調査のルールに従うならば、タロットそしてジプシーの起源という二つの謎の解決、そして懸案である両者の関係の証明ないし否定に一歩近づけるかもしれない。                                                                
(了)

[訳註9・ウェイトの『タロットの鍵』(1910年)における対応と、ここでのブロディ=イネスの主張をまとめると以下のようになる。
   ウェイト     棒=♦ 剣=♣ 杯=♥ コイン=♠
   ブロディ=イネス 棒=♦ 剣=♠ 杯=♥ コイン=♣
ちなみに後者は「黄金の夜明け」団設立のきっかけとなった暗号文書第9葉に記されている対応と同じである。団の三首領の一人でブロディ=イネスが信奉していたマグレガー=マザースの有名な小冊子(1888年)でも同じ対応が採用されている。この対応は暗号文書がオリジナルのようで、ウェストコットが団創立前年に発表した『ベンボ枢機卿のイシス銘盤』(1887)では現在でも最も一般的な対応(棒=♣ 剣=♠ 杯=♥ コイン=♦)が採用されていた。
 ちなみにウェイトは『タロットの鍵』前年の1909年に『隠されたる聖杯教会』や『カード占い便覧』(こちらは変名の「グランド・オリエント」名義)を発表しているが、これらの中では「暗号文書」式対応を採用しているのが興味深い(冒頭で紹介したウェイトの反論も参照)。]

[訳註10・いわゆる「ケルト十字法」のことである。]

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ライダー版コインの2。