フェデリコ・フェリーニ『81/2』とタロットの関係(1) はじめに

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一昨年Twitterにてフェデリコ・フェリーニ監督畢生の傑作『81/2』(1963年公開)に見られるタロット・カードの影響の可能性についての考察を連続ツイートしたが、この場で補筆・訂正の上少しずつまとめてみることにした。「史上最高のタロット映画」としての『81/2』。アップし終えたものも適宜、折に触れて改訂してゆくつもりでいる。

一般にはさほど知られていないようだが、フェリーニは極めて深くオカルトに関心を持っていた人であった(参考記事こちら)。タロットも例外ではない。

“ROLLING STONE”誌に掲載された1984年のインタビューに、以下のようなフェリーニの仕事部屋内に関する描写がある。

Hanging on the walls were a Mobius strip, Indian paintings, a photograph of Carl Jung and three tarot cards (Strength, the Stars, the Fool).

壁に「力」「星」「愚者」のタロットカードが飾られていた、と。その部屋の様子を撮影した写真がこちらのMichael Sporn氏のブログにある。以下の丸囲みの部分に注目。

仕事部屋のフェリーニ1

仕事部屋のフェリーニ2

明らかにタロットカード(ライダー版)であることが分かる。道化師(=愚者)や逞しい大女(=力)など、実にフェリーニらしい感じのするチョイスである。「星」札に関しては代表作の一つである『甘い生活』の名シーン、トレヴィの泉に入るアニタ・エクバーグを彷彿させる。

ライダー版の3枚

さて、それではフェリーニはいつ頃タロットと出会い関心をもったのか。残念ながら明確な情報はなく上掲のカードを飾り始めた時期も不明なのだが、彼自身のタロットへの言及が残っている。

When I was preparing Juliet of the Spirits, I seized the opportunity to go to séances, to visit mediums, to consult tarot card readers. Some of the tarot cards were so beautiful. I collected a few. I could tell people I was doing research. …

要するに、『81/2』の次作にあたる『魂のジュリエッタ』(1965年公開)準備時にタロット占い師に取材したりデッキのちょっとした収集や研究をしたということであるが、個人的にはフェリーニのタロットとの出逢いはさらに遡ると見ている。

フェリーニは『81/2』の製作時非常なスランプ状態に陥っているが、この頃にはユングの直弟子である精神分析医エルンスト・ベルンハルト博士と出逢い深甚な影響を受けている。数年に渡り週に数回の面会を重ね、夢日記も付け始めた。のちに部屋にはユングの写真を飾り、ついにはスイスの「ボーリンゲンの塔」へ聖地詣でを行うほどユングに傾倒している。さてベルンハルト博士だが、彼はユング派だけに(?)占星術や手相、易の実践でも有名な人物だった。さらに博士はタロットも使用していたようである。まず、故ウンベルト・エーコなども担当した著名な編集者マリオ・アンドレオーゼ氏の証言

アンドレオーゼ氏インタビュー記事

『81/2』と同じ1960年代頃の話。博士が占星術やタロットの信奉者であった、と。フェリーニの名も見える。

つづいて、作家ジョルジョ・マンガネッリの娘へのインタビュー。父ジョルジョはフェリーニと同時期くらいにベルンハルト博士と出会いカウンセリングを受けたらしい。タロットに関しては以下の箇所に言及が。

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サイコロというのは恐らく易のことであろう。さて博士がタロットと出逢ったきっかけは全く不明であるが、いくつか関連のありそうなことを挙げてみたい。まず博士が初めてユングと対面したのは1934年1月だが、まさにこの年の『エラノス年報』にかのルドルフ・ベルヌーリのタロット論が収録されている。この年のことは不明だが博士はエラノス会議の常連だったそうで、ベルヌーリのタロット論に触れていた可能性は大いにある。さらに、博士とユングは1937年から実におよそ十年に渡って交流が途絶えていたらしいが1947年には関係を回復している。以前記したようにユングがタロットを明確に研究対象にしたのは1950年代前半のことなので、ユングに直接タロットのことを聞かされたことも想像される。

フェリーニが易に熱中し周囲の人々にも『易経』を薦めていたことは共同脚本家だったトゥッリオ・ピネッリが証言している。しかるに、タロットに関してはさにあらずであった。仕事机の、わざわざあれだけ近くに飾っていることについても語っている言葉は寡聞にして知らない。勘ぐるに、それは創作家人生最大のスランプにあたりベルンハルト博士を通して出逢ったタロットのイメージを代表作『81/2』のアイデアの源泉として秘かに利用した事実を知られぬためということもあったのではないか?と。フェリーニは創作に関しては相当な秘密主義者であり、創造過程の痕跡や証拠の類は一切合財処分してしまいたがる人であった(本人は「殺人犯コンプレックス」と呼んでいたという)。「大いなる嘘つき」の通り名どおり、饒舌に語られる言葉にも多くの誇張や事実に反すること、はぐらかしなどが含まれることはよく知られているし本人も認めている。

実際にフェリーニが参照したデッキについては完全に推測の域を出ないのだが、メインとしたのはいくつかの理由からマルセイユ系であろうと思われる。ユングが最もその価値を認めていたのはグリモー版なので、弟子のベルンハルト博士がそれをフェリーニに紹介したということも考えられよう。加えて、上記のとおり後年フェリーニが仕事部屋に飾っていたライダー版ないしそのコピーデッキや、イタリア国産のオカルトタロットとして当時既に出回っていたモディアーノ社製エジプト風デッキ(パピュス版がモデル)なども既にコレクションに加わっていたかもしれない。関係書籍などに所載の図版ともなればさらに可能性の幅は広がる。たとえば例の『エラノス年報』のベルヌーリによるタロット論にはピエール・マドニエ版が図版として使われている。

次回以降、タロットの切札22枚全てと映画『81/2』の登場人物ほかの要素との偶然とは思えぬ照応の数々を追ってゆく。(了)

 

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